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東京地方裁判所 昭和44年(ヨ)2210号 判決 1971年4月08日

申請人

中本ミヨ

右代理人

小池貞夫

外二名

被申請人

日産自動車株式会社

右代表者

川又克二

右代理人

橋本武人

外二名

主文

申請人の申請を棄却する。

訴訟費用は申請人の負担とする。

第一、当事者の求める裁判

一、申請人

1  申請人が被申請人に対し、雇用契約上被申請会社萩窪工場を就労場所とし、同工場総務部施設課所属の従業員としての権利を有することを仮に定める。

2  被申請人は申請人に対し、昭和四四年二月から昭和四九年一月まで、毎月二五日限り金四七、三一八円を仮に支払え。

との判決。

二、被申請人

主文同旨の判決。

第二、当事者の主張

一、申請理由

(一)  申請人は昭和二一年一月一五日富士産業株式会社(以下富士産業という)に雇用され、同会社萩窪工場に勤務していたものであるところ、昭和二五年七月富士精密工業株式会社(以下富士精密という)が富士産業から右萩窪工場ほか営業の一部を譲受けるとともに富士産業と申請人間の雇用契約上の権利義務をも譲受けて承継した。富士精密はその後昭和三六年二月その商号をプリンス自動車工業株式会社(以下プリンス自工という)と変更したが、昭和四一年八月一日被申請会社に吸収合併(以下本件合併という)されたため、プリンス自工と申請人間の雇用関係は被申請会社に承継されるに至つた。しかして申請人は被申請会社においても前記萩窪工場を勤務場所とし、同工場総務部施設課所属の従業員として勤務していたところ、被申請会社は昭和四三年一二月二五日申請人に対し、「申請人は昭和四四年一月一四日をもつて満五〇才の定年に達するので、会社の就業規則第五七条により同月末日限り退職を命ずる」旨の通告をなし(以下本件退職通告という)、同年二月一日以降申請人を従業員として取り扱わず就労を拒否している。

(二)  被申請会社の従業員就業規則第五七条第一項には、従業員は男子満五五才、女子満五〇才をもつて定年とする旨定められており、申請人は大正八年一月一五日生れの女子で、昭和四四年一月一四日の経過とともに満五〇才に達したものである。しかしながら、本件合併前、申請人とプリンス自工との間の雇用関係を律していた同会社の就業規則第四五条によれば、「従業員が満五五才に達したときは退職を命ずる」と規定し、従業員の定年に関し男女を問わず一律に満五五才としていたものであるところ、本件合併により右就業規則に基づく申請人とプリンス自工間の雇用関係がそのまま被申請会社に承継されたものであるから、被申請会社の従業員就業規則第五七条第一項を申請人に適用すべき余地はないというべきである。しからば申請人と被申請会社間の雇用関係においても申請人の定年は満五五才であるから、申請人と被申請会社との雇用関係は昭和四九年一月一四日まで存続することが明らかである。

(三)  しかして昭和四四年一月当時における申請人の平均賃金月額は四七、三一八円で、賃金の支払日は毎月二五日であつた。

(四)  申請人は被申請会社から支払われる賃金を唯一の収入源とする労働者であつて、緊急にこれが支払を受けなければ生活が窮迫状態に陥り、著しい損害を蒙るおそれがあるから本件申請におよぶ。

二、申請理由に対する被申請人の答弁と抗弁

(答弁)

申請理由(一)、(三)は認める。同(二)のうち、被申請会社の従業員就業規則第五七条第一項には申請人主張のとおりの定年の定があること、申請人が大正八年一月一五日生れの女子で、昭和四四年一月一四日の経過とともに満五〇才に達したこと、本件合併前、プリンス自工の就業規則第四五条には従業員の定年に関し申請人主張のとおり定められていたことを認め、その余は争う。同(四)は争う。

(抗弁)

被申請会社が昭和四三年一二月二五日申請人に対し本件退職通告をなし、翌四四年二月一日以降申請人を従業員として取り扱わなくなつたのは次の理由による。

プリンス自工は、本件合併により被申請会社に雇用関係を承継される自社従業員の労働条件について、合併後は被申請会社の従業員のそれに統一するため、昭和四一年七月二三日プリンス自工従業員の四分の三以上をもつて組織するプリンス自工労働組合(以下組合という)との間に、「本件合併後の組合員の労働条件は被申請会社の就業規則の定めるところによる」旨の労働協約(以下本件協約という)を締結した。しかして被申請会社の就業規則によれば従業員の定年に関し、「従業員は男子満五五才、女子満五〇才をもつて定年とし、男子は満五五才女子は満五〇才に達した月の末日をもつて退職させる」(第五七条一項)と定めている。ところで、申請人は本件協約締結当時組合員ではなかつたが、労働組合法(以下労組法という)第一七条により本件協約の拡張適用を受けるに至つたものであるから、申請人とプリンス自工間の雇用契約上、申請人の定年がプリンス自工の就業規則の定めるところにより満五五才の約定であつたとしても、本件協約の規範的効力によりこれと抵触する限度(満五〇才を超える部分)で右約定は無効となり、本件合併後における女子たる申請人の定年は雇用契約上被申請会社の就業規則のとおり満五〇才に改定されることとなつた。しかして被申請会社は本件合併とともに右の如き内容による申請人とプリンス自工間の雇用関係を承継したものであるところ、申請人は昭和四四年一月一四日の経過をもつて満五〇才に達したから、申請人と被申請会社間の雇用契約は被申請会社の就業規則第五七条一項に基づき、同月三一日限り終了に帰したものである。そして同条二項には従業員が定年に該当する場合にはその三〇日前にこの旨予告することと定めているので、被申請会社は昭和四三年一二月二五日申請人に対し本件退職通告をなした。

三、抗弁に対する申請人の答弁と再抗弁

(答弁)

抗弁事実中、本件合併前の昭和四一年七月二三日プリンス自工と組合との間に組合員の労働条件に関し本件協約が締結されたこと、組合は、当時、プリンス自工の従業員の四分の三以上をもつて組織されていたこと、本件協約の成立当時、申請人が組合員でなかつたこと、その当時申請人の定年はプリンス自工の就業規則によれば満五五才であつたこと、被申請会社の就業規則第五七条には、従業員の定年に関し被申請人主張のとおり定められていること、申請人が女子であり昭和四四年一月一四日の経過をもつて満五〇才に達したことを認め、その余の事実および法律上の主張を争う。労組法第一七条の適用上、労働協約締結時において未組織労働者が協約に定める労働条件より有利な条件で個別的労働契約を締結している場合には、右労働者についてはその同意がない限り、協約中当該部分の拡張適用をなし得ないものと解すべきところ、本件協約中女子定年に関する部分は、本件協約締結当時申請人とプリンス自工間の雇用契約を律していたプリンス自工の就業規則中定年に関する第四五条に比し女子の定年を五年短縮するものであつて申請人にとつて不利益であることが明らかであり、又申請人はプリンス自工に対し右定年の改定についての同意をしたことがないのは勿論、積極的に異議を述べてきたものである。従つて本件協約中、女子定年に関する部分は申請人とプリンス自工間の雇用契約中定年に関する部分につき効力を及ぼさない。

(再抗弁)

被申請会社の就業規則第五七条一項中、女子の定年に関する部分は何ら合理的理由に基づくことなく、専ら労働者の性別を理由とする差別であるから、本件協約中女子定年に関する部分は民法第九〇条に違反し無効である。即ち被申請会社が自動車製造を業とする重工業の部類に属するとしても、女子従業員が男子従業員に比し肉体上労働能力の減退速度が早く、満五〇才をもつて被申請会社の業務に不適となるとすることはそれ自体科学的根拠を欠き、被申請会社では職種によつて従業員の労働能力の必要程度は異り、女子や高年令者に不適な重作業もあれば然らざる軽作業あるいは事務職もあるのであつて、特に女子は一般事務(申請人も事務職たる総務部施設課所属である)・電話交換手・タイピスト等に従事し、重作業に従事する者はいないことからすれば、被申請会社が重工業であることを理由にして各職種共通に女子の定年を男子のそれより五年短縮することは充分な根拠とならない。また、平均寿命の点でも男子68.9才に対し女子74.2才で、むしろ女子の方が長く、女子労働者は結婚後家庭の主婦となり五〇才を超えてまで職を維持することは稀であるとすることも、女子労働者の中にあつて長く勤続を希望する者が年々増加しつつある実情に反する。以上の事実に鑑みれば、本件協約中女子の定年を男子のそれより五年短縮した部分は合理性を欠き男女の性別のみを理由とする故なき差別であることは明らかである。

四、再抗弁に対する被申請人の答弁

再抗弁事実中、被申請会社が自動車製造を業とする重工業に属することは認めるが、その余は争う。被申請会社の就業規則第五七条一項において女子の定年を満五〇才と定めたことは、合理的理由に基づくものであつて単に男女の性別のみを理由としたものではない。即ち、現在我国で多数の企業が採用する定年制の理由は、①高令になつて労働能力が低下した労働者を若年労働者に交代させ作業能率を高めること、②高令者を企業内にとどめることにより人事の停滞をきたさぬようにすること、③年功賃金制の下における人件費上昇を軽減すること等にあるところ、定年を何才とするかについては各企業における業務の実態と関連するが、大多数の企業では満五〇才から五五才の範囲でこれを定めているのが実情である。しかして被申請会社では、その業務が自動車製造という重工業に属する関係上、労働能力の減退低下した高令者に不適な重作業が多いのであるが、一般に高令になるにつれて労働能力は低下し、四〇才過ぎから低下の度合が大きくなり、この場合男子は満五五才、女子は満五〇才をもつてそれぞれ労働能力が被申請会社の業務に不適となるものと認めたのである。もつとも男女の定年を右のように定めたのは、その肉体的な観点ばかりでなく、女子は結婚後家庭の主婦となる等満五〇才を超えてまで勤務することが稀であるのに対し、男子は一家の大黒柱として家族を扶養するとの社会的実情をも考慮したのである。従つて被申請会社の前記就業規則条項を内容とする本件協約の当該部分は民法第九〇条に違反せず有効である。

第三、疏明<省略>

理由

一、申請人が昭和二一年一月一五日富士産業に雇用され、同会社萩窪工場に勤務していたところ、昭和二五年七月富士精密が富士産業から右萩窪工場ほか営業の一部を譲受けるとともに同会社と申請人間の雇用契約上の権利義務を承継したこと、富士精密はその後プリンス自工と商号を変更したが、昭和四一年八月一日被申請会社に吸収合併され、プリンス自工と申請人間の雇用関係も被申請会社に承継されたこと、本件合併後、申請人は被申請会社の従業員として前記萩窪工場総務部施設課において勤務していたところ、被申請会社は昭和四三年一二月二五日申請人に対し、被申請会社の就業規則第五七条に基づき本件退職通告をなしたこと、および申請人が大正八年一月一五日生れの女子であつて、昭和四四年一月一四日の経過とともに満五〇才に達したこと、以上の事実は、いずれも当事者間に争がない。

二そこで申請人と被申請会社間の労働契約上、申請人の定年を満五〇才とする約定が存したかどうかについて判断する。

(1)  本件合併前、申請人とプリンス自工間の労働契約の内容は、同会社の就業規則によつて律せられていたところ、同規則第四五条には「従業員が満五五才に達したときは退職を命ずる」旨規定されていたことは当事者間に争いがないから、本件合併前における申請人とプリンス自工間の労働契約においては、申請人の定年は満五五才の約定であつたと認めるのが相当である。

(2)  ところで、本件合併に先立ち昭和四一年七月二三日プリンス自工とその従業員の四分の三以上をもつて組織するプリンス自工労組との間に「本件合併後の組合員の労働条件に関しては被申請会社の就業規則の定めるところによる」旨の本件協約が締結されたこと、そして当時施行の被申請会社の就業規則第五七条一項には「従業員は、男子満五五才、女子満五〇才をもつて定年として、男子は満五五才、女子は満五〇才に達した月の末日をもつて退職させる」と定められていたことに当時者間に争いがなく、<証拠>を綜合すれば、次の事実を一応認め得る。すなわち、本件合併に先立つ昭和四〇年五月三一日、被申請会社とプリンス自工間で合併に関する覚書が調印され、両会社の従業員の労働条件を統一することとされたが、その後、両会社の合併委員会において、本件合併が被申請会社による吸収合併であること、被申請会社の従業員数は約二四、〇〇〇人であるのに対しプリンス自工のそれは約七、八〇〇人であること等の事情が考慮された結果、被申請会社の従業員の労働条件にプリンス自工従業員のそれを統一させることと決定せられた。本件協約は、右の決定に沿いプリンス自工の従業員の労働条件その他の待遇に関する基準を合併期日たる昭和四一年八月一日現在において被申請会社の従業員の労働条件その他の待遇に関する基準に統一する方法として締結された。本件協約は、その本文において、「労働条件は合併期日において原則として日産自動車株式会社の基準に統一する。但し統一については別紙覚書による。」と定め、覚書には賃金その他の労働条件および従業員の待遇の基準に関し合併に伴う経過措置を定めているところ、定年に関する経過措置として、「停年退職時期については昭和四一年一二月末日迄の退職者はプリンス自工の現行通りとする」と定められた。右定年に関する経過措置は、本件協約締結当時、プリンス自工の就業規則第四五条には、前示のとおり、「従業員が満五五才に達したときは退職を命ずる。」と定められていたが、一月から六月中に定年に達した者は六月末日をもつて、七月から一二月中に定年に達した者は一二月末日をもつて退職せしめる慣わしであつたので、本件合併により昭和四一年一二月末日までの間に被申請会社の就業規則第五七条一項に定める定年に達した者については、定年に達した月の末日をもつて退職せしめることなく、特に同年一二月末日まではなお被申請会社との間の雇用契約を存続せしめ、もつて上記慣行に基づく従業員の既得権を保障するために採られたものである。本件協約成立当時、プリンス自工の従業員数は約七、八〇〇名であつたところ、そのうち約七、五一八名がプリンス自工労組に加入しており、申請人の勤務していた前記萩窪工場においても、同工場の従業員の四分の三以上がプリンス自工労組の組合員であつた。右認定を覆えすに足る疏明資料はない。

しかして、本件協約成立当時、申請人がプリンス自工労組の組合員でなかつたことは、申請人の認めて争わないところである。

(3) 右の事実に基づいて考えるに、本件協約は、本件合併に伴い被申請会社に吸収されるプリンス自工の従業員の労働条件その他待遇に関する基準を合併期日たる昭和四一年八月一日において被申請会社の従業員の労働条件その他待遇に関する基準に変更することを内容とするものであるところ、本件協約中定年に関する部分は労組法第一六条にいう「労働条件その他労働者の待遇に関する基準」を定めたものに該当することが明らかであるから、いわゆる規範的効力を有するものというべきである。しかして本件協約成立当時、プリンス自工の従業員の四分の三以上がプリンス自工労組に加入し、申請人の勤務していた萩窪工場においても同工場従業員の四分の三以上がプリンス自工労組の組合員であつたのであるから、申請人が当時プリンス自工労組以外の労働組合の組合員であつたことの主張、疏明のない本件においては、労組法第一七条の規定により本件協約の効力は申請人に対しても及ぶものというべく、したがつて、申請人とプリンス自工間の労働契約における申請人の定年に関する前示約定は、本件協約成立の結果、合併期日たる昭和四一年八月一日の到来とともに満五〇才に改定さるべき関係に立ち至つたものといわなければならない。

(4) 申請人は、本件協約中女子の定年に関する部分は本件協約成立以前における申請人とプリンス自工間の労働契約上の約定よりも不利な基準を定めたものであるから、申請人の同意がない限り申請人に対して拡張適用され得ない旨主張する。申請人に対し本件協約中女子の定年に関する部分の効力が拡張適用されるとすれば、本件合併後は被申請会会社の就業規則第五七条一項により申請人の定年は満五〇才となり、本件協約成立以前における申請人とプリンス自工間の労働契約上の約定(満五五才)よりも定年年令が五年短縮されることとなるのであるから、定年年令の点に関しては申請人にとつて不利益であるといい得る。しかしながら、労働協約の部外者であるいわゆる未組織労働者が労組法第一七条の要件を具備する労働協約に定める労働条件より有利な労働条件で個別的労働契約を締結している場合には、当該労働者についてはその同意がない限り労働協約の効力は拡張適用され得ないものと解することについては、労組法上、明文的根拠がない。労組法第一七条が「同種の労働者の四分の三以上が一つの労働協約の適用を受けるに至つた」ことを要件として労働協約の一般的拘束力を認めたのは、かかる要件を具備する労働協約の規範性を協約の部外者にも及ぼすことによつて、協約当事者たる労働組合自身の統制力の維持強化を図るとともに、一の工場、事業場における労使関係の安定に寄与せしめることにあると解せられる。したがつて、労組法第一七条に定める要件を具備する労働協約が成立するに至つたときは、協約の当事者である労働組合に属しない未組織労働者にも協約の一般的拘束力が自動的に及び、たとえ未組織労働者が協約成立以前に協約の定める基準より有利な労働条件を内容とする労働契約を締結している場合でも、それが新に成立した協約の基準に牴触するかぎり、将来に向つて当然その効力を失い、未組織労働者の同意の有無に拘わらず、協約の効力を受けるものと解するを相当とする。右と見解を異にし、未組織労働者の締結する労働契約の内容が協約の定める基準より有利な場合には、当該未組織労働者に対しては、その同意がない限り、協約の一般的拘束力は及ばないとする申請人の主張は、とうてい採用の限りでない。

(5) 次に申請人は、本件協約中女子の定年に関する部分は民法第九〇条に違反し無効であると主張する。労働基準法第三条、第四条の各規定に照せば、同法は性別を理由とする差別取扱は賃金に関してのみ禁止し、賃金以外の労働条件について女子労働者を男子労働者より不利益に取り扱うことを禁止していないことが明らかである。したがつて、女子労働者の定年年令を男子労働者のそれより短縮したからといつて、そのことだけで直に公序良俗に反するものとはいいがたい。しかしながら、女子の定年年令についての差別的取扱が、専ら女子であることのみを理由とする以外に他に合理的理由を見出し得ないようなものであるときは、かかる差別的取扱を定めた労働協約は民法第九〇条に違反するものとして無効であると解するのが相当である。

これを本件についてみるに、本件協約は、本件合併により被申請会社に吸収されるプリンス自工の従業員(プリンス自工労組の組合員)の労働条件などを被申請会社の就業規則の定める基準に統一することを目的として締結されたものであり、被申請会社の就業規則第五七条一項は、従業員の定年について男子は満五五才、女子は満五〇才をもつて定年とする旨規定し、男女に五才の差を設けていることは前示のとおりであるところ、<証拠>によれば、人間の心身機能ないし労働能力は、個人差はあるが一般的に二〇才台を頂点としてその後漸進的に低下するところ、男女とも筋力・肺活量・動脈硬化と関連する血圧の変化・視力・反応時間・動作の敏速性等各種の生理機能においては、機能の年令的変化の上で男女間に特別の差はないが、一般に女子の生理機能水準自体は男子に劣り、女子五〇才のそれに匹敵する男子の年令は五二才位であり、女子五五才のそれに匹敵する男子の年令は七〇才となること、我国で従業員の定年制を実施している企業にあつては定年年令を男女一律とするものが大部分であつて八〇パーセント以上に及ぶが、男女別定年制を設けるものも約二〇パーセント近くあり、そのうち男女に五才の差を設けているものが最も多く一一パーセント程度となつていること、被申請会社の就業規則は昭和二三年二月二九日に制定され、以後逐次部分的な改正を経て昭和四三年一〇月一日現行の就業規則が施行されたものであるところ、従業員の定年については就業規則の制定以来、一貫して男子五五才、女子五〇才の基準が維持されてきたものであること、被申請会社において男女従業員の定年を右のとおり定めたのは、前記男女の生理機能水準の差異を考慮したほかなお次の如き理由によるものであること、即ち被申請会社は重工業に属する企業を営む関係から、女子の職種は概ね補助的業務に限定され、従つて女子従業員は入社後数年を経れば業務に習熟し、それ以上の勤務年数を重ねても、その企業への貢献度は男子従業員に比して向上しない反面、賃金は年功序列的賃金体系を採用しているため、年々上昇し賃金と労働能率のアンバランスは男子従業員の場合に比較して、より早期に生ずること、および被申請会社においては従来から満五〇才を超えてなお勤続する女子従業員は殆んどいなかつたこと等の事情をも勘案したものであること、被申請会社は、その就業規則第五七条二項但書において「会社が定年の延長を特に必要と認めたときは、一定期間を限りこれを延長することがある」と定め、定年延長の措置をも講じていることが一応認められ、これに反する疏明はない。

以上に認定した男女の生理機能の差異、我国における男女別定年制の実情、被申請会社が男女別定年制を設けるに至つた事情などに関する諸事実と男女の定年の差が僅かに五才であつて男子従業員に比し女子従業員を著しく不当に差別するものでないことに鑑みれば、被申請会社の就業規則第五七条一項の定める男女別定年制は、企業合理化の見地からして合理的な根拠があるものであり、単なる性別のみを理由とする差別取扱ではないと認められる。しかして、上記判示の本件協約締結の目的を勘案すれば本件協約中女子定年に関する部分は民法第九〇条に違反するものではないと認めるのが相当である。従つて申請人の前記主張も採用し得ない。

三、しからば、被申請会社の就業規則第五七条一項の定めるところにより、申請人が満五〇才に達した月の末日である昭和四四年一月三一日をもつて申請人と被申請会社との間の雇用契約は終了に帰したものというべきである。したがつて、その後においても申請人と被申請会社との間に雇用契約の存続することを前提とする本件申請は、その余の点につき判断するまでもなく、被保全権利の存在につき疏明なきことに帰し、保証によつて疏明に代えることは相当でないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。(兼築義春 菅原晴郎 神原夏樹)

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